目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
北窓を開け朝夕に赤城山 太田市 塚本 和夫
「北窓閉づ」は冬の季語。これが「北窓開く」で春の季語となる。馴染みの赤城山にも春が来た。季節が一句に自然に取り込まれている。 【 宇多 喜代子 選 】
「北窓閉づ」は冬の季語。これが「北窓開く」で春の季語となる。馴染みの赤城山にも春が来た。季節が一句に自然に取り込まれている。 【 宇多 喜代子 選 】
春耕の喜び赤きトラクター 伊勢原市 櫛渕 伊紗
なんと奇抜な赤。「春耕の喜び」にぴったり。いまや「耕」の主役はトラクター。ただし歳時記の方では今も牛耕馬耕。これは郷愁の季語。 【 宇多 喜代子 選 】
なんと奇抜な赤。「春耕の喜び」にぴったり。いまや「耕」の主役はトラクター。ただし歳時記の方では今も牛耕馬耕。これは郷愁の季語。 【 宇多 喜代子 選 】
巣の端をしつかり蹴りて巣立ちけり 千葉市 中村 重雄
成長した鳥は巣の端をしっかり蹴って飛びたつ。鳥の巣立ちの感触を追体験できるようにできている。作者と鳥とは一体である。 【 小澤 實 選 】
成長した鳥は巣の端をしっかり蹴って飛びたつ。鳥の巣立ちの感触を追体験できるようにできている。作者と鳥とは一体である。 【 小澤 實 選 】
熊犬の仔のころびあふ花の下 津市 中山 道春
熊犬とは、マタギが狩に連れていく犬らしい。花は山桜だろう。働く犬になる賢い仔犬たち。花との取り合わせが、一幅の日本画のよう。 【 正木 ゆう子 選 】
熊犬とは、マタギが狩に連れていく犬らしい。花は山桜だろう。働く犬になる賢い仔犬たち。花との取り合わせが、一幅の日本画のよう。 【 正木 ゆう子 選 】
石蹴りの石の寂しさ花ふぶき 蓮田市 千葉 玄能
子どもの遊びだけでなく、歩いていて無意識に、または無聊(ぶりょう)発散に石を蹴ることがある。花吹雪の中でふっと感じる哀愁。 【 宇多 喜代子 選 】
子どもの遊びだけでなく、歩いていて無意識に、または無聊(ぶりょう)発散に石を蹴ることがある。花吹雪の中でふっと感じる哀愁。 【 宇多 喜代子 選 】
雨降れば雨を愉しむ桜かな 上尾市 中野 博夫
花時の雨である。お花見を目論(もくろ)んでいただれもが生憎(あいにく)残念とおもう。そんな雨を、雨の桜もいいものだとおもう。句作の好材料にもなる。
【 宇多 喜代子 選 】
花時の雨である。お花見を目論(もくろ)んでいただれもが生憎(あいにく)残念とおもう。そんな雨を、雨の桜もいいものだとおもう。句作の好材料にもなる。
【 宇多 喜代子 選 】
そっと見てそっと帰りし花ざかり 東京都 神通 芙美代
今年の桜をこのように見た人は多いだろう。私も公園の端から桜を遠望し、人に少ない道を選んで帰った。それも外出自粛前のこと。 【 正木 ゆう子 選 】
今年の桜をこのように見た人は多いだろう。私も公園の端から桜を遠望し、人に少ない道を選んで帰った。それも外出自粛前のこと。 【 正木 ゆう子 選 】
油断はすまい連翹のどつと咲く 我孫子市 森住 昌弘
ウイルスの話がなくても、その影の濃い投句が多く寄せられた。怯(おび)える人間とは対照的に、常と変わらぬ自然。 連翹(れんぎょう)に活を入れられたような、七五五の力強いリズムである。 【 正木 ゆう子 選 】
ウイルスの話がなくても、その影の濃い投句が多く寄せられた。怯(おび)える人間とは対照的に、常と変わらぬ自然。 連翹(れんぎょう)に活を入れられたような、七五五の力強いリズムである。 【 正木 ゆう子 選 】
ウイルスの真のこわさは世界から握手とキスをうばいさること
上尾市 田中 澄子
新型コロナウイルスのもたらす厄災の深い側面をとらえた一首。予防のためには、人と会わないのが一番という。握手とキスという具体が、象徴としても機能している。 【 俵 万智 選 】
上尾市 田中 澄子
新型コロナウイルスのもたらす厄災の深い側面をとらえた一首。予防のためには、人と会わないのが一番という。握手とキスという具体が、象徴としても機能している。 【 俵 万智 選 】
卒業す潜水服を光らせて 久慈市 和城 弘志
水産高校を卒業した生徒だろう。 今日から潜水服を着た一人前の漁師になる。 座五がいい。 【 矢島 渚男 選 】
水産高校を卒業した生徒だろう。 今日から潜水服を着た一人前の漁師になる。 座五がいい。 【 矢島 渚男 選 】