目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
未明鳴く蝉か蝉でもなささうな 岡山市 国定 義明
この句の評にも複雑という言葉を使いたい。 曖昧(あいまい)なこと、微妙なことを俳句にするのは難しい。 【 正木 ゆう子 選 】
この句の評にも複雑という言葉を使いたい。 曖昧(あいまい)なこと、微妙なことを俳句にするのは難しい。 【 正木 ゆう子 選 】
身のめぐりすつきりと死なむ皐月のけふ書道華道の免状を捨つ
座間市 高田 孝子
ごく端的に、そして重い歌。苦心してもらった書道と華道の免状を捨てる。残り時間の限られてくれば、この世の関わりの多くを整理して身軽になりたい。その行動、立派。 【 小池 光 選 】
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小池先生は、読売文学賞を受賞してから若い方の作品を取り上げる機会が少なくなったような気がします。
座間市 高田 孝子
ごく端的に、そして重い歌。苦心してもらった書道と華道の免状を捨てる。残り時間の限られてくれば、この世の関わりの多くを整理して身軽になりたい。その行動、立派。 【 小池 光 選 】
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小池先生は、読売文学賞を受賞してから若い方の作品を取り上げる機会が少なくなったような気がします。
亡き夫が孫と掬いし出目金の九年目に入る夏巡りくる
三島市 中村 節子
夏祭りの夜店で掬(すく)った出目金かもしれない。縁あって飼われることになった出目金は9年目を迎えようとしている。亡き夫への思いをさらりと表したところに余情が漂う。 【 栗木 京子 選 】
三島市 中村 節子
夏祭りの夜店で掬(すく)った出目金かもしれない。縁あって飼われることになった出目金は9年目を迎えようとしている。亡き夫への思いをさらりと表したところに余情が漂う。 【 栗木 京子 選 】
人生の最悪の日も。じゃなく、だと言って朝日は昇る
大船渡市 凪 ひと葉
。は「マル」、は「テン」と読ませるのだろう。句点を打って終了するのではなく、次に続く読点だというたとえが、ユニークなだけでなく、とても前向きだ。 【 俵 万智 選 】
大船渡市 凪 ひと葉
。は「マル」、は「テン」と読ませるのだろう。句点を打って終了するのではなく、次に続く読点だというたとえが、ユニークなだけでなく、とても前向きだ。 【 俵 万智 選 】
山独活を喰ひし女の香りかな 寒河江市 大谷 正行
山ウドを食った女に、その強い香りが移っていた、という野性的な句である。山で採ったウドをその場で食べてきたのだ。 【 矢島 渚男 選 】
山ウドを食った女に、その強い香りが移っていた、という野性的な句である。山で採ったウドをその場で食べてきたのだ。 【 矢島 渚男 選 】
葉桜も滝でありたる滝桜 千葉市 中村 重雄
福島県の三春滝桜は樹齢千年とか。様々に詠まれてきたが、葉桜の句はそう多くはない。花のときだけでなく、滝を成す葉はまた別の迫力。紅葉も滝になるのだろう。 【 正木 ゆう子 選 】
福島県の三春滝桜は樹齢千年とか。様々に詠まれてきたが、葉桜の句はそう多くはない。花のときだけでなく、滝を成す葉はまた別の迫力。紅葉も滝になるのだろう。 【 正木 ゆう子 選 】
モヤシの根とることもなく調理する子等が独立して行きしあと
あきる野市 中西 ゆり
子どものためにならできたことが、自分(と夫?)のためとなると、急におっくうになる。象徴としての、モヤシの根の説得力。 【 俵 万智 選 】
あきる野市 中西 ゆり
子どものためにならできたことが、自分(と夫?)のためとなると、急におっくうになる。象徴としての、モヤシの根の説得力。 【 俵 万智 選 】
滝となるまへのひと時かも知れぬ 上尾市 中野 博夫
滝となる前の句は多いが、この句はニュアンスが違う。滝となる寸前まで、そうと気づかずに流れる水を人に喩(たと)えているようだ。 【 正木 ゆう子 選 】
滝となる前の句は多いが、この句はニュアンスが違う。滝となる寸前まで、そうと気づかずに流れる水を人に喩(たと)えているようだ。 【 正木 ゆう子 選 】
豆飯やけふも笑ってゐる遺影 松山市 三木 須磨夫
故人が豆飯好きであったことがわかる。 「けふも」 ということは 「昨日も」 ということ。 遺影の笑みが作者の日々を穏やかにしているようだ。 【 宇多 喜代子 選 】
故人が豆飯好きであったことがわかる。 「けふも」 ということは 「昨日も」 ということ。 遺影の笑みが作者の日々を穏やかにしているようだ。 【 宇多 喜代子 選 】
寅さんのごとき燕もいるだろう 川越市 伊藤 康昭
巣燕たちを観察していて、こんな感想を持つ人もいる。 なかにはきっと「寅さん」のように、ふらっと出ていって、ふらっと帰ってくる気儘(きまま)な奴もいるのだろうな。
【 矢島 渚男 選 】
巣燕たちを観察していて、こんな感想を持つ人もいる。 なかにはきっと「寅さん」のように、ふらっと出ていって、ふらっと帰ってくる気儘(きまま)な奴もいるのだろうな。
【 矢島 渚男 選 】