目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
6畳に妻を娶(めと)りし四月来る 東京都 榎 正好
4月は結婚した月。 6畳一間のささやかな生活が始まった月だった。 そんな思いが胸をよぎり、その後の暮らしを思い起こす。 「6畳」の具体性がいいのだ。
【 矢島 渚男 選 】
4月は結婚した月。 6畳一間のささやかな生活が始まった月だった。 そんな思いが胸をよぎり、その後の暮らしを思い起こす。 「6畳」の具体性がいいのだ。
【 矢島 渚男 選 】
晴れ晴れと死の話する苗木市 下妻市 神郡 貢
苗木市で友人と会い、死の話にまで及んだ。 でも生き生きした若木たちの中で、しかも晴天、どこか明るく済ますことが出来た。 【 矢島 渚男 選 】
苗木市で友人と会い、死の話にまで及んだ。 でも生き生きした若木たちの中で、しかも晴天、どこか明るく済ますことが出来た。 【 矢島 渚男 選 】
喜寿5人日銀見学四月馬鹿 八王子市 中野 美保子
こちらはまた別の庶民性。近寄りがたい日本銀行を 賑やかに見学する喜寿5人。 お土産に1億円くれないかな、などと言いながら。 【 正木 ゆう子 選 】
こちらはまた別の庶民性。近寄りがたい日本銀行を 賑やかに見学する喜寿5人。 お土産に1億円くれないかな、などと言いながら。 【 正木 ゆう子 選 】
青空も桜も人もやわらかくうしろに流してゆく屋形船
横浜市 水野 真由美
「うしろに流してゆく」が、素晴らしい。 屋形船に乗りながら、まさに景色が動いているという実感が伝わってくる。 【 俵 万智 選 】
横浜市 水野 真由美
「うしろに流してゆく」が、素晴らしい。 屋形船に乗りながら、まさに景色が動いているという実感が伝わってくる。 【 俵 万智 選 】
桜貝打ち上げて波帰らざる 武藤 紀子 ( むとう のりこ )
桜貝を拾いながら思う。桜貝を浜辺へ運んできた波はどこへ去ったのか。波は海に紛れて同じ波は二度と現れることはない。その思いはたちまち自分に及んだだろう。私をここまで運んできた波はどこへ去ったのか。句集『冬干潟』から。
【 '17.04.21 四季 ・ 長谷川 櫂 選 】
桜貝を拾いながら思う。桜貝を浜辺へ運んできた波はどこへ去ったのか。波は海に紛れて同じ波は二度と現れることはない。その思いはたちまち自分に及んだだろう。私をここまで運んできた波はどこへ去ったのか。句集『冬干潟』から。
【 '17.04.21 四季 ・ 長谷川 櫂 選 】
猫の恋耳の千切れた奴が来る 川崎市 多田 敬
猫の恋も簡単に成就することはない。雌(めす)を争って戦い、耳までちぎれてしまった猛者の雄が登場した。猫の世界も波乱が起りそうだ。 【 小澤 實 選 】
猫の恋も簡単に成就することはない。雌(めす)を争って戦い、耳までちぎれてしまった猛者の雄が登場した。猫の世界も波乱が起りそうだ。 【 小澤 實 選 】
たんぽぽの絮よ壊されそうな星よ 神奈川県 中島 さやか
たんぽぽの円い絮毛(わたげ)が今にも壊れそう。この地球という星も愚かな人間たちの争いによって壊されそう。そんな感慨の句であろう。 【 矢島 渚男 選 】
たんぽぽの円い絮毛(わたげ)が今にも壊れそう。この地球という星も愚かな人間たちの争いによって壊されそう。そんな感慨の句であろう。 【 矢島 渚男 選 】
絵は我にあらず踏めよと神の声 八王子市 永 松雄
踏絵を踏むキリスト教徒の内面を描いた。絵は自分ではない、踏みなさいと神の声が響いている。江戸時代、踏絵は春先におこなわれた。 【 小澤 實 選 】
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何年か前に、初めて「千の風になって」を聴いた時のような衝撃を受けました。
踏絵を踏むキリスト教徒の内面を描いた。絵は自分ではない、踏みなさいと神の声が響いている。江戸時代、踏絵は春先におこなわれた。 【 小澤 實 選 】
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何年か前に、初めて「千の風になって」を聴いた時のような衝撃を受けました。
寒戻る別れを告げに来しごとく 土浦市 今泉 準一
冴(さえ)返るというには余りに寒くて、まるで冬が再び戻ってきたのかと思うほどだ。きっと最後の別れを告げに来たのかもしれない。 【 矢島 渚男 選 】
冴(さえ)返るというには余りに寒くて、まるで冬が再び戻ってきたのかと思うほどだ。きっと最後の別れを告げに来たのかもしれない。 【 矢島 渚男 選 】
飾るたび若くなりたる雛(ひいな)かな 青森市 小山内 豊彦
年に一度雛(ひな)を出す。 雛は年をとることもなく幾年も前と同じ初々しい顔で現れる。 年々雛が若くなるのではなく、迎えるこちらが年老いてゆくのだ。
【 宇多 喜代子 選 】
年に一度雛(ひな)を出す。 雛は年をとることもなく幾年も前と同じ初々しい顔で現れる。 年々雛が若くなるのではなく、迎えるこちらが年老いてゆくのだ。
【 宇多 喜代子 選 】