目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
奥千本西行庵の寒の月 愛知県 山崎 隆吉
奈良県吉野山の最奥、金峯山神社のある辺りを奥千本といい、西行庵は神社のさらに奥の小さな台地にある。 文治年間(1185~90)、西行が俗塵(ぞくじん)を避けて、3年間ここで幽居していたという。 『山家集』に 「寂しさにたへたる人の又もあれな庵双(なら)べむ冬の山里」 とある。いま桜の木に囲まれた庵に、寒の月が煌々と射している。 【 森 澄雄 選 】
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杜甫李白西行芭蕉秋千歳 船橋市 藤井 元基
誰もが知っている詩人四人の名を連ねただけで句が生まれたのも、この人たちの残した詩の強さが芯になっているからだろう。その偉大な名を下五で支えている「秋千歳」もまた強い。千年の秋、百年の秋を重ね来てなお朽ちない「秋千歳」である。さらに強いのは、同様の試みが一回性であるというところか。 【 宇多 喜代子 選 】
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山眠り山彦ひとり起きてゐる 千葉市 加賀谷 朋子
あらゆる自然の中に精霊としての神を見る世界観は、そのまま俳句の世界観でもある。しかもこの句では、その山の神が厳(いか)めしく近寄りがたい存在ではなく、ひとりの孤独な人間のように描かれている親しさが嬉しい。山が眠っている間も、山の意識は起きている、という認識のしかたもまた美しく繊細である。 【 正木 ゆう子 選 】
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すろうりい歌会始すろうりい 東京都 吉竹 純
歌会始を外来語を繰返し用い描写しているのに驚いた。歌会始の本質的な魅力は「すろうりい」、ゆっくり進めるところに在るというのだ。繰り返し読んでいると、独特の披講(ひこう)まで聞こえてくるようである。俳句とは、かくも自由なものであると教えられた。 友人がこの句を口にしてくれる場に何度か居合わせた。幸せな句だ。 【 小澤 實 選 】
奈良県吉野山の最奥、金峯山神社のある辺りを奥千本といい、西行庵は神社のさらに奥の小さな台地にある。 文治年間(1185~90)、西行が俗塵(ぞくじん)を避けて、3年間ここで幽居していたという。 『山家集』に 「寂しさにたへたる人の又もあれな庵双(なら)べむ冬の山里」 とある。いま桜の木に囲まれた庵に、寒の月が煌々と射している。 【 森 澄雄 選 】
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杜甫李白西行芭蕉秋千歳 船橋市 藤井 元基
誰もが知っている詩人四人の名を連ねただけで句が生まれたのも、この人たちの残した詩の強さが芯になっているからだろう。その偉大な名を下五で支えている「秋千歳」もまた強い。千年の秋、百年の秋を重ね来てなお朽ちない「秋千歳」である。さらに強いのは、同様の試みが一回性であるというところか。 【 宇多 喜代子 選 】
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山眠り山彦ひとり起きてゐる 千葉市 加賀谷 朋子
あらゆる自然の中に精霊としての神を見る世界観は、そのまま俳句の世界観でもある。しかもこの句では、その山の神が厳(いか)めしく近寄りがたい存在ではなく、ひとりの孤独な人間のように描かれている親しさが嬉しい。山が眠っている間も、山の意識は起きている、という認識のしかたもまた美しく繊細である。 【 正木 ゆう子 選 】
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すろうりい歌会始すろうりい 東京都 吉竹 純
歌会始を外来語を繰返し用い描写しているのに驚いた。歌会始の本質的な魅力は「すろうりい」、ゆっくり進めるところに在るというのだ。繰り返し読んでいると、独特の披講(ひこう)まで聞こえてくるようである。俳句とは、かくも自由なものであると教えられた。 友人がこの句を口にしてくれる場に何度か居合わせた。幸せな句だ。 【 小澤 實 選 】
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