目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
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8.jpgエコ  見返り求める商売道具
            写真家   石川 直樹

世界中を旅して写真を撮っているうえに、風景を写した作品も多いからか、環境問題を絡めた取材を受ける機会も多くなった。しかし、何かを訴えるためにぼくは写真を撮っているわけではないし、エコがどうのと謳(うた)うイメージ優先で商業主義にまみれた都市のキャンペーンには疑念さえ抱いている。
 本来エコロジーとは生態学を背景とした思想や活動を表す言葉であって、耳に心地よいコピーとして、街に跋扈(ばっこ)する類のものではないだろう。消費経済のなかでエコという接頭辞が軽々しく使われ、それが絶対的な「善」としてまかりとおる現状を見ていると、いやはやというため息もでる。
 自然に近い暮らしを営む人々は、大地が傷つけば、自分たちが立ちゆかなくなることをわかっている。例えば、彼らが薬草や木の実などを森から得るとき、それらを根こそぎ採らないのは、自らが他の生き物と何かをわかちあいながら生きているということを強く認識しているからである。それは、見返りを求めない贈与の関係といってもいい。
野山に生きる人々は、結果的に自然と親和性のある生き方になったのであって、それが目的ではなかった。見返りを求めた「いいこと風」のキャンペーンは、上辺だけを取り繕った営業ツールのように見えてなんだかむなしい。エコを免罪符のように振りかざして邁進(まいしん)する企業は、それを唱えること自体に満足するかもしれないが、森の人は決して声高に叫ばない。エコという二文字を使用せずとも、出会った人や目の前の世界に今より少しだけ優しく接することができれば、日々はわずかに変化していくだろう。ぼくはそう信じてやまないのだ。            < 10.3.19 読売新聞 夕刊 >


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