目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
参列者で最高齢となるのは101歳の池端志津江さん(さいたま市見沼区)。過去の追悼式でも最高齢となる。夫・正雄さんは1944年8月に臨時召集され、輸送船で南方戦線に向かう途中の同12月、台湾・フィリピン間の海峡で潜水艦の雷撃を受けて戦死した。
2人は当時では珍しい恋愛結婚だった。夫は自分が勤めた染め物工場で妻が働けるよう取り計らい、南方へ旅立った。「子供を頼む」。そう言い残した夫の戦死の知らせが届いたのは終戦の翌年だった。
子供は男ばかり3人。生活は苦しかったが、埼玉県内の染め物工場で55歳まで働き、3人を育て上げた。その間も夫と過ごした家を離れようとはしなかった。息子たちが次々に巣立った後も住み続けた。「母はいつか父が帰ってくる。そう信じて生きてきたのだろう」。三男の正之さん(69)はそう思ってきた。しかし95歳の時、硬膜下出血で倒れる。退院した後は愛着のあった家を離れ、長男宅で暮らしている。
「戦争のことは忘れた」。息子たちにかたくなに言い続けた。何も語ろうとしない。大戦を扱ったテレビ番組も見ない。追悼式の案内が来ても関心を示さなかった。昨夏、新聞で追悼式の記事を読んだ後、「私も出たいわ」とつぶやいた。同じ戦没者の妻たちが高齢を押して参列していることを知り、気持ちが変わった。
それから1年後のこの日、車いすに乗った志津江さんは正雄さんの遺影を胸に抱え、武道館に入った。「お国のためでしたけど、大変な目に遭った。残念です」と思いを語った。追悼式に初めて参列することは、「あの世にいるお父さんも喜んでいると思います。お父さんのおかげで私は長生きできた。みんなが平和に健康に暮らせることを願っています」と話した。
(2009年8月15日14時09分 読売新聞)