目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
モヤシの根とることもなく調理する子等が独立して行きしあと
あきる野市 中西 ゆり
子どものためにならできたことが、自分(と夫?)のためとなると、急におっくうになる。象徴としての、モヤシの根の説得力。 【 俵 万智 選 】
あきる野市 中西 ゆり
子どものためにならできたことが、自分(と夫?)のためとなると、急におっくうになる。象徴としての、モヤシの根の説得力。 【 俵 万智 選 】
滝となるまへのひと時かも知れぬ 上尾市 中野 博夫
滝となる前の句は多いが、この句はニュアンスが違う。滝となる寸前まで、そうと気づかずに流れる水を人に喩(たと)えているようだ。 【 正木 ゆう子 選 】
滝となる前の句は多いが、この句はニュアンスが違う。滝となる寸前まで、そうと気づかずに流れる水を人に喩(たと)えているようだ。 【 正木 ゆう子 選 】
豆飯やけふも笑ってゐる遺影 松山市 三木 須磨夫
故人が豆飯好きであったことがわかる。 「けふも」 ということは 「昨日も」 ということ。 遺影の笑みが作者の日々を穏やかにしているようだ。 【 宇多 喜代子 選 】
故人が豆飯好きであったことがわかる。 「けふも」 ということは 「昨日も」 ということ。 遺影の笑みが作者の日々を穏やかにしているようだ。 【 宇多 喜代子 選 】
寅さんのごとき燕もいるだろう 川越市 伊藤 康昭
巣燕たちを観察していて、こんな感想を持つ人もいる。 なかにはきっと「寅さん」のように、ふらっと出ていって、ふらっと帰ってくる気儘(きまま)な奴もいるのだろうな。
【 矢島 渚男 選 】
巣燕たちを観察していて、こんな感想を持つ人もいる。 なかにはきっと「寅さん」のように、ふらっと出ていって、ふらっと帰ってくる気儘(きまま)な奴もいるのだろうな。
【 矢島 渚男 選 】
雨蛙きょとんと何か質問は 茨木市 瀬戸 順治
青蛙(あおがえる)が目の前の葉っぱに止まっている。キョトンとして動かない。まるで「何か、私に質問がありますか」と言っているみたいだ。 【 矢島 渚男 選 】
青蛙(あおがえる)が目の前の葉っぱに止まっている。キョトンとして動かない。まるで「何か、私に質問がありますか」と言っているみたいだ。 【 矢島 渚男 選 】
今日もまた人と話さず終わりけり言葉交わさぬ心なめらか
久留米市 塩山 雅之
気がつくと、今日も一日人と話すこと無く過ぎてしまった。 寡黙にすごした後の、 拘泥のない心安らかさよ。 喧噪(けんそう)・煩雑を極める現代を超越した心境もまた楽しい。 【 岡野 弘彦 選 】
久留米市 塩山 雅之
気がつくと、今日も一日人と話すこと無く過ぎてしまった。 寡黙にすごした後の、 拘泥のない心安らかさよ。 喧噪(けんそう)・煩雑を極める現代を超越した心境もまた楽しい。 【 岡野 弘彦 選 】
学生の頃の英語の辞書引けば字の余りにも小さきに驚く
藤枝市 北泊 あけみ
昔つかった辞書の類はなかなか捨てられないものである。あれから何十年、なにげなく開いてみたらあまりに字が細かくて読めたものではない。驚くばかりだ。
【 小池 光 選 】
藤枝市 北泊 あけみ
昔つかった辞書の類はなかなか捨てられないものである。あれから何十年、なにげなく開いてみたらあまりに字が細かくて読めたものではない。驚くばかりだ。
【 小池 光 選 】
樹(き)の声のあふるるえごの盛りなり 如月(きさらぎ) のら
梅雨のころ、えごの木に真っ白な花が咲く。噴きこぼれるように散って、樹下に雪のように積もる。あれは木の声があふれているのだと作者は思った。人間の声は言葉になるが、樹木の声は花になるという美しい幻想。 句集 『実生(みしょう)』 から。
【 '16.06.14 四季 ・ 長谷川 櫂 選 】
梅雨のころ、えごの木に真っ白な花が咲く。噴きこぼれるように散って、樹下に雪のように積もる。あれは木の声があふれているのだと作者は思った。人間の声は言葉になるが、樹木の声は花になるという美しい幻想。 句集 『実生(みしょう)』 から。
【 '16.06.14 四季 ・ 長谷川 櫂 選 】
シンギンインザレイン気分は青蛙 栃木県 小林 たけし
カタカナの部分はもちろんジーン・ケリー歌う 「雨に唄えば」 のメロディで読みたい。雨に打たれて、青蛙(あおがえる)も気持良さそう。 【 正木 ゆう子 選 】
カタカナの部分はもちろんジーン・ケリー歌う 「雨に唄えば」 のメロディで読みたい。雨に打たれて、青蛙(あおがえる)も気持良さそう。 【 正木 ゆう子 選 】
天と地の突っ張り棒よキャンバスに並木道なすメタセコイヤは
焼津市 山下 邦子
堂々としたメタセコイヤの存在感が 「突っ張り棒」 という斬新な比喩で捉えられた。本当に突っ張ってほしい、とも思う。 【 俵 万智 選 】
焼津市 山下 邦子
堂々としたメタセコイヤの存在感が 「突っ張り棒」 という斬新な比喩で捉えられた。本当に突っ張ってほしい、とも思う。 【 俵 万智 選 】