目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
母とゐるただゐるだけで秋の夜 行田市 永沼 規美雄
究極の存在とでもいえるような母と子である。特別になにか話すわけでもない、なにかをしているわけでもない。「ゐるだけの」ならぬ「ゐるだけで」が絶妙である。
【 宇多 喜代子 選 】
究極の存在とでもいえるような母と子である。特別になにか話すわけでもない、なにかをしているわけでもない。「ゐるだけの」ならぬ「ゐるだけで」が絶妙である。
【 宇多 喜代子 選 】
老ゆるとは手付かずの萩乱れ萩 山形市 伊藤 啓泉
手入れのされていない庭の萩のように、ままならない老い。「萩」の繰り返しがリズミカル。かりにも秋の七草の萩に喩えたことで、嘆きつつも美しい句となった。
【 正木 ゆう子 選 】
手入れのされていない庭の萩のように、ままならない老い。「萩」の繰り返しがリズミカル。かりにも秋の七草の萩に喩えたことで、嘆きつつも美しい句となった。
【 正木 ゆう子 選 】
萱草の花さく佐渡をたずねんと言ひゐし妻の七回忌終ゆ
新潟市 渋谷 まこと
私も佐渡をたずねた時は萱草(かんぞう)の花の咲く夏で、海風に耐えてゆらぐその花のけなげな様子が心に残っている。死者の魂が集まるという、洞窟の傍(そば)に咲く花だった。 【 岡野 弘彦 選 】
新潟市 渋谷 まこと
私も佐渡をたずねた時は萱草(かんぞう)の花の咲く夏で、海風に耐えてゆらぐその花のけなげな様子が心に残っている。死者の魂が集まるという、洞窟の傍(そば)に咲く花だった。 【 岡野 弘彦 選 】
疎開児の落書き遺す夏の寺 須賀川市 関根 邦洋
「児」を「時」と換えれば本人の思い出になるが、そうではない。今も残っている落書きに疎開児童たちを偲(しの)んでいる。苦しい悲しい時代の貴重な遺産だろう。
【 矢島 渚男 選 】
「児」を「時」と換えれば本人の思い出になるが、そうではない。今も残っている落書きに疎開児童たちを偲(しの)んでいる。苦しい悲しい時代の貴重な遺産だろう。
【 矢島 渚男 選 】
運動会妻の全速力の顔 御殿場市 芹沢 雄太郎
学校の運動会ではなく地区の運動会か。様々な表情を知っているつもりだったが、全速力の新たな表情の妻を発見、惚(ほ)れ直した。 【 小澤 實 選 】
学校の運動会ではなく地区の運動会か。様々な表情を知っているつもりだったが、全速力の新たな表情の妻を発見、惚(ほ)れ直した。 【 小澤 實 選 】
朝顔の種と記してマッチ箱 東京都 樋口 ふさ子
一読、身に覚えがあると思った次第。 種袋ならぬこのマッチ箱は、自家の朝顔の種入れにまことに適当なサイズである。 【 宇多 喜代子 選 】
一読、身に覚えがあると思った次第。 種袋ならぬこのマッチ箱は、自家の朝顔の種入れにまことに適当なサイズである。 【 宇多 喜代子 選 】
その話千回聞いたと言う孫は千一回目を笑顔で聞きおり
福山市 山野 静江
聞き飽きたことを指摘しながらも、笑顔でまた聞いてくれる孫。「千回」と「千一回目」という数詞が効果的に使われている。 【 栗木 京子 選 】
福山市 山野 静江
聞き飽きたことを指摘しながらも、笑顔でまた聞いてくれる孫。「千回」と「千一回目」という数詞が効果的に使われている。 【 栗木 京子 選 】
秋立つとむかしの静かな雨が降る 横浜市 天野 あき
だれもがこんな雨が降ってくれればいいと思っている。この句の「むかし」が大昔ではなく、つい半世紀前のことであることが怖い。 【 宇多 喜代子 選 】
だれもがこんな雨が降ってくれればいいと思っている。この句の「むかし」が大昔ではなく、つい半世紀前のことであることが怖い。 【 宇多 喜代子 選 】
長き夜へ回す朝刊たたみけり 東京都 松本 武雄
この記事は、夜にために取っておこう。歌壇・俳壇も後でもう一回読もう、と丁寧にたたむ。紙の新聞ならではの楽しみ方かも。 【 正木 ゆう子 選 】
この記事は、夜にために取っておこう。歌壇・俳壇も後でもう一回読もう、と丁寧にたたむ。紙の新聞ならではの楽しみ方かも。 【 正木 ゆう子 選 】
芒原泡立草に負けるなよ 名古屋市 可知 豊親
芒(すすき)原の芒の間に背高泡立草が目立ってきた。このままでは、芒が滅びてしまうかもしれない。それで、芒原を励ましている。そのまま風景描写にもなっているのがいい。 【 小澤 實 選 】
芒(すすき)原の芒の間に背高泡立草が目立ってきた。このままでは、芒が滅びてしまうかもしれない。それで、芒原を励ましている。そのまま風景描写にもなっているのがいい。 【 小澤 實 選 】