目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
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   朝が来て朝が来て又雪を掻く   富山県  野崎 郁雄

作者のお住いの北筑の今年の雪はすごかった。毎日毎日、雪の上に雪が降る。「朝が来て」の繰り返しが切実。                【 宇多 喜代子 選 】 


  カーリング「ソダネー」の声ひびきたり何とかわゆい日本の女子は
                              栃木市  近藤 靖子

カーリングも感動的だった。ふつうの言葉なのだけどいっぺんで流行語に。「何とかわゆい」 がとてもいい。 同感。                    【 小池  光 選 】


   転勤の何方に消えし雛かな   笹本 千賀子 ( ささもと ちかこ )

転勤のたびの引っ越し。新任地に着くと、あるはずの荷物がないことがときどきあった。 時の流れのなかで人は何かを得、 その代わり何かを失(な)くすということか。 作者の場合はずっと大事にしてきたお雛さま。 句集『冬のキリスト』から。
                      【 '18.03.13 四季 ・ 長谷川 櫂 選 】


   雪掻(か)けば所得たりと降り積もる   富士宮市  高橋 武久

雪掻きをしてもしても、空いた分だけまた降り積もる。まるで雪に意思があるような「所得たりと」が言い得て妙。雪のために場所を空けてやっているわけではないのに。                                 【 正木 ゆう子 選 】


   雪解けて村いっぱいの百寿かな   八王子市  徳永 松雄

「子供かな」ならば小林一茶の句。 大げさではあるが、パロディというだけでなく、現代を表しているだろう。わが家の母も101歳。          【 正木 ゆう子 選 】


   罪深き思ひして踏む薄氷   習志野市  吉田 信雄

薄氷をまえにして、踏んでいいのかと思いつつ踏んでしまった。まことに繊細な「思ひ」である。作者が言いたかったのは、薄氷の淡いうつくしさ。【 宇多 喜代子 選 】


  初午やわれも化けたる一人にて   東大和市  板坂 寿一

初午(はつうま)は稲荷神社の祭り。 農耕が始まったころ、鼠(ねずみ)を退治してくれる狐(きつね)は神とされたが、やがて人を化かすとして敬遠された。 俺も実は化けているのさ、と諧謔(かいぎゃく)の味わい。         【 矢島 渚男 選 】


  飛ばされぬように帽子に手をやれば風に押されて飛べそうな空
                              茨木市  瀬戸 順治

結句の展開に意外性があって面白い。帽子は飛ばされてはならない。でも自分は飛べそうな空。                             【 俵  万智 選 】


  長男のわれに明かさぬ胸のうち野良着すがしく母は麦ふむ
                              匝瑳市  椎名 昭雄

作者は68歳。おそらく回想の母の姿の歌であろう。作者自身も老いて、心に残る思い沈んだ母の姿が一層、しみじみと思い出され、身にしみるのである。
                                    【 岡野 弘彦 選 】


   何か来て枝をゆらすよ日脚のぶ   春日市  渡辺 紀美子

枝をゆらす何かが来たのだ。鳥に決まっているよ、などと言ってはいけない。目に見えないものであるのかもしれないのだから。もうすぐ春。    【 宇多 喜代子 選 】


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