目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
姑とのよきへだたりに桐の花 さいたま市 加治 美智子
よきへだたりがいいではないか。 この「よきへだたり」 に「桐の花」 が絶妙。 文章にすれば延々と長くなるところを俳句でサラリと言い果(おお)せている。
【 宇多 喜代子 選 】
よきへだたりがいいではないか。 この「よきへだたり」 に「桐の花」 が絶妙。 文章にすれば延々と長くなるところを俳句でサラリと言い果(おお)せている。
【 宇多 喜代子 選 】
奥会津そのまた奥の遅桜 須賀川市 関根 邦洋
奥会津は雪の多いところだが、そのぶん春が生き生きとしていて風光に一級品の趣がある。桜もまた生き生きしている。 【 宇多 喜代子 選 】
奥会津は雪の多いところだが、そのぶん春が生き生きとしていて風光に一級品の趣がある。桜もまた生き生きしている。 【 宇多 喜代子 選 】
新茶汲むそれから次を考える 神奈川県 石原 美枝子
新茶を味わいながら、さてと考える。今日これからのことか、人生明日からのことか。新茶が明るい「これから」を暗示する。 【 宇多 喜代子 選 】
新茶を味わいながら、さてと考える。今日これからのことか、人生明日からのことか。新茶が明るい「これから」を暗示する。 【 宇多 喜代子 選 】
私にも母がゐたこと夏うぐいす 大垣市 七種 年男
いろんなことがあった来し方を思うとき、 自分にも世の誰彼と同じように母があったのだという愛惜の念は断ち難い。 夏鶯(うぐいす)が、 母との日々を思い出させる。 粘りのない母恋の句である。 【 宇多 喜代子 選 】
いろんなことがあった来し方を思うとき、 自分にも世の誰彼と同じように母があったのだという愛惜の念は断ち難い。 夏鶯(うぐいす)が、 母との日々を思い出させる。 粘りのない母恋の句である。 【 宇多 喜代子 選 】
牡丹咲き大きな朝となりにけり 東大阪市 渡辺 美智子
待ちに待った梅や桜が咲いても「大きな朝」という感じはしない。牡丹(ぼたん)なればこそである。 【 宇多 喜代子 選 】
待ちに待った梅や桜が咲いても「大きな朝」という感じはしない。牡丹(ぼたん)なればこそである。 【 宇多 喜代子 選 】
柏餅ついでに吾の誕生会 松戸市 をがはまなぶ
例えば句会で柏餅が出た場面。「実は今日は僕の誕生日なんです」 「まあ、それはそれは。ではお祝いしましょう」ということに。 5月5日だろうか。 「ついで」が面白い。 【 正木 ゆう子 選 】
例えば句会で柏餅が出た場面。「実は今日は僕の誕生日なんです」 「まあ、それはそれは。ではお祝いしましょう」ということに。 5月5日だろうか。 「ついで」が面白い。 【 正木 ゆう子 選 】
この道は幼きころの別れ道くなどの神がひつそりと立つ
つくば市 潮田 清
「くなどの神」は、昔から道が別れる場所などに祀(まつ)られる神。 作者は幼時の記憶を懐かしみながら、今は忘れられたように道べに立つくなどの神を歌に留めた。
【 岡野 弘彦 選 】
つくば市 潮田 清
「くなどの神」は、昔から道が別れる場所などに祀(まつ)られる神。 作者は幼時の記憶を懐かしみながら、今は忘れられたように道べに立つくなどの神を歌に留めた。
【 岡野 弘彦 選 】
弟と妹のいてこどもの日 三条市 星野 愛
作者の子ども時代の思い出だろうが、誰にでもある思い出としてほろっとした感慨が心に湧き上がる。 【 宇多 喜代子 選 】
作者の子ども時代の思い出だろうが、誰にでもある思い出としてほろっとした感慨が心に湧き上がる。 【 宇多 喜代子 選 】
さくら草だけに小さな風の過ぐ 枚方市 加藤 賢
さくら草への思い入れの句。風はさくら草だけではなく、そこそこの万物に同じように吹いているのだが、さくら草の小さな揺れに「さくら草だけに」ととらえた句。
【 宇多 喜代子 選 】
さくら草への思い入れの句。風はさくら草だけではなく、そこそこの万物に同じように吹いているのだが、さくら草の小さな揺れに「さくら草だけに」ととらえた句。
【 宇多 喜代子 選 】
味噌汁の底に沈んだしじみらが海を思っておこすさざ波
上尾市 関根 裕治
味噌(みそ)汁を飲むときには、自然と表面が揺れる。 誰もが目にする、日常的な光景だ。 それをまことにロマンチックな見立てで表現した。 しじみたちも喜んでいるのではと思う。 【 俵 万智 選 】
上尾市 関根 裕治
味噌(みそ)汁を飲むときには、自然と表面が揺れる。 誰もが目にする、日常的な光景だ。 それをまことにロマンチックな見立てで表現した。 しじみたちも喜んでいるのではと思う。 【 俵 万智 選 】