目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
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   夫逝きて不思議な夏の訪れし   朝霞市  村田 登美子

大切な人がいなくなっても巡り来る季節。 詠まれているのは、悲しみだけではない、とまどいと驚き。 不思議な新しい世界に、放心したように向き合う作者が見える。                      【 正木 ゆう子 選 】


   蜜豆の男ル・モンドを読む女   野田市  松沢 龍一

男は蜜豆を食べ、女は新聞を読んでいる。それもフランスの夕刊紙「ル・モンド」だというのだ。ふしぎなカップルを描いている。物語が、この場面から始まりそうだ。                           【 小澤  實 選 】


   なめくぢり月の光を引き進む  流山市  久我 渓霞

「なめくぢり」とはナメクジのこと。 ぬるっとしたナメクジの銀色、這った後に残る痕跡も銀色。不快害虫のナメクジをかくも美しくとらえた句はないだろう。
                             【 宇多 喜代子 選 】


   誕生日こそ母の日と思ふべし  神戸市  赤尾 庄司

5月の母の日はそれとして、自分を生んでくれた誕生日こそが本当の母の日というわけ。その日を記憶しているのは、実に母の方である。    
                              【 正木 ゆう子 選 】


   噴水や志またふつふつと   さいたま市  堅山 道助

夏の日にきらきらと輝く噴水。 高く上がる水しぶきを見ていると身中の奥処から湧き上ってくるものがある。それも「ふつふつ」と。明るく、若々しい句だ。 
                             【 宇多 喜代子 選 】


   誰彼のずうずう弁の花に酔う   山形県  柏倉 ただを

ずうずう弁は東北人特有の鼻にかかる弁。花見酒を呑むほどに酔うほどに、ずうずう弁の応酬となる。無口な東北人が饒舌となる時、標準語など入込む余地がない。              【 成田 千空 選  '06.06.12 】


    猫の仔の猫背の覚え始めかな   秋田市  中村 栄一

一人前の猫らしい姿で坐るようになった仔猫に、これからどんな一生が待っているのか。「覚え始め」に、小さな生き物への愛情がにじむ。   
                              【 正木 ゆう子 選 】


   茄子もぎて棘の痛さも我の物   四街道市  須崎 輝男 

自分で作れば棘さえ愛おしいというわけ。達成感を強調する下五からしてどうも野菜作りは新米かと思われ、そこが微笑ましくも可笑しい。   
                              【 正木 ゆう子 選 】


   木の芽雨一芽一芽に山の色   つくば市  飯島 宏

なんと瑞々しい早春の景だろう。芽吹いた木の芽を伝う雨滴の一つ一つがはらむ大きな春山の色。一芽ずつに力がみなぎる。 【 宇多 喜代子 選 】



   鶯や終の棲家は借家なり   東京都  石田 康子

終の棲家は一生の最後の棲家。 「是がまあつひの栖か雪五尺 一茶」。
鶯の美声が聞こえる季節。住みなれた家は借家であり、終の棲家であるという。生活感情がある句。                【 成田 千空 選 】


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