目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
鰯雲(いわしぐも)さびしさにまた旅にいづ
東村山市 藤巻 治郎
普通は若さや家族や仕事によって紛れているが、誰の心の奥にも普遍的な寂しさはあるはず。作者はその核に行き着いた人なのだろう。
【 正木 ゆう子 選 】
東村山市 藤巻 治郎
普通は若さや家族や仕事によって紛れているが、誰の心の奥にも普遍的な寂しさはあるはず。作者はその核に行き着いた人なのだろう。
【 正木 ゆう子 選 】
秋桜九月生まれの吾のもの 指宿市 日野 けい子
こんな独占欲なら大いに発揮しても構わない。コスモスはみんな私のもの、とはなんと豊かな気分だろう。それならば、紫陽花は6月生まれの私のもの。
【 正木 ゆう子 選 】
こんな独占欲なら大いに発揮しても構わない。コスモスはみんな私のもの、とはなんと豊かな気分だろう。それならば、紫陽花は6月生まれの私のもの。
【 正木 ゆう子 選 】
ふと吾は何する人と思う秋 伊丹市 山本 耕平
隣は何をする人ぞ、という有名な句はあるが、自分は何をする人ぞ、とはユニーク。問いかけてすぐに答えられる人は案外少ないかも。
【 正木 ゆう子 選 】
隣は何をする人ぞ、という有名な句はあるが、自分は何をする人ぞ、とはユニーク。問いかけてすぐに答えられる人は案外少ないかも。
【 正木 ゆう子 選 】
我の身を離れぬ我や秋の暮 羽曳野市 鎌田 恭輔
一生この肉体とともにある自分という意識、性格、魂。自分とはいったい何なのだろう。そんなことに思いが誘われるのも、秋の暮れ。
【 正木 ゆう子 選 】
月夜茸生者が死者を語るとき 川崎市 堅助
生きている者は死者の思い出を語る。そうすると、どこかで月夜茸(つきよたけ)が育っていくというのだ。 暗いところでは青白く発光する月夜茸は、どこか死の雰囲気をまとっている。 【 小澤 實 選 】
新米やよそふと云う語美しき 横浜市 西村 正子
漢字で書けば、「装う」。ご飯を「つぐ」とも言うけれど、濁点が入らないぶん、「よそう」は確かに美しい。新米であれば、なおのこと。
【 正木ゆう子 選 】
種はみな花の隠れ家秋中ば 埼玉県 酒井 鶴子
「一生懸命育てた花達が次々と姿を隠す所は種の中でした」と添え書きがあるから、実感なのだ。花の姿でなく、命を見た感慨である。
【 正木 ゆう子 選 】
「なかば」を漢字で書くと「半ば」と書いてしまいそうですが、俳句の世界では「中ば」と書くものなのでしょうか? 今の私には、その違いが解りません。未来を感じさせる静かな力強さは、作者が女性だからなのでしょうか?美しい句だと思いました。
大き過ぎはせぬかと思う月上る 長井市 小島 敏雄
満月への絶大なる賛辞。「思う」は散文的な表現だが、声にして読み上げてみると、「と」に同化して小声になる。気にならないのだ。
【 宇多 喜代子 選 】
満月への絶大なる賛辞。「思う」は散文的な表現だが、声にして読み上げてみると、「と」に同化して小声になる。気にならないのだ。
【 宇多 喜代子 選 】
われ老いて三島由紀夫は若々し幼しとみしその気負ひすら
狭山市 相葉 博
三島は私より一年若い。作者もそれに近い年齢だろう。戦争で死んだ友も、そして三島も、死者は常に若いままだ。市ヶ谷台上での気負った死。今もそれを諾(うべな)うのではないが、身を責められる思いがある
【 岡野 宏彦 選 】
狭山市 相葉 博
三島は私より一年若い。作者もそれに近い年齢だろう。戦争で死んだ友も、そして三島も、死者は常に若いままだ。市ヶ谷台上での気負った死。今もそれを諾(うべな)うのではないが、身を責められる思いがある
【 岡野 宏彦 選 】
蜩や佐渡には古き能舞台 東京都 鈴木 燕童
佐渡は本間家の佐渡宝生流の能が盛んで、古い能舞台も多く、蜩(ひぐらし)がカナカナと美しく鳴いている。 【 森 澄雄 選 】
佐渡は本間家の佐渡宝生流の能が盛んで、古い能舞台も多く、蜩(ひぐらし)がカナカナと美しく鳴いている。 【 森 澄雄 選 】