目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
[220]  [221]  [222]  [223]  [224]  [225]  [226]  [227]  [228]  [229]  [230
   鰯雲(いわしぐも)さびしさにまた旅にいづ   
                        東村山市  藤巻 治郎

普通は若さや家族や仕事によって紛れているが、誰の心の奥にも普遍的な寂しさはあるはず。作者はその核に行き着いた人なのだろう。 
                               【 正木 ゆう子 選 】


   秋桜九月生まれの吾のもの   指宿市  日野 けい子  

こんな独占欲なら大いに発揮しても構わない。コスモスはみんな私のもの、とはなんと豊かな気分だろう。それならば、紫陽花は6月生まれの私のもの。  
                               【 正木 ゆう子 選 】


   ふと吾は何する人と思う秋   伊丹市  山本 耕平

隣は何をする人ぞ、という有名な句はあるが、自分は何をする人ぞ、とはユニーク。問いかけてすぐに答えられる人は案外少ないかも。   
                              【 正木 ゆう子 選 】


   我の身を離れぬ我や秋の暮   羽曳野市  鎌田 恭輔

一生この肉体とともにある自分という意識、性格、魂。自分とはいったい何なのだろう。そんなことに思いが誘われるのも、秋の暮れ。   
                               【 正木 ゆう子 選 】



   月夜茸生者が死者を語るとき   川崎市  堅助

生きている者は死者の思い出を語る。そうすると、どこかで月夜茸(つきよたけ)が育っていくというのだ。 暗いところでは青白く発光する月夜茸は、どこか死の雰囲気をまとっている。               【 小澤  實 選 】



   新米やよそふと云う語美しき   横浜市  西村 正子

漢字で書けば、「装う」。ご飯を「つぐ」とも言うけれど、濁点が入らないぶん、「よそう」は確かに美しい。新米であれば、なおのこと。
                              【 正木ゆう子 選 】



   種はみな花の隠れ家秋中ば  埼玉県  酒井 鶴子

「一生懸命育てた花達が次々と姿を隠す所は種の中でした」と添え書きがあるから、実感なのだ。花の姿でなく、命を見た感慨である。      
                              【 正木 ゆう子 選 】

「なかば」を漢字で書くと「半ば」と書いてしまいそうですが、俳句の世界では「中ば」と書くものなのでしょうか
 今の私には、その違いが解りません。未来を感じさせる静かな力強さは、作者が女性だからなのでしょうか?美しい句だと思いました。



   大き過ぎはせぬかと思う月上る   長井市  小島 敏雄
   
満月への絶大なる賛辞。「思う」は散文的な表現だが、声にして読み上げてみると、「と」に同化して小声になる。気にならないのだ。    
                             【 宇多 喜代子 選 】



 われ老いて三島由紀夫は若々し幼しとみしその気負ひすら  
                          狭山市  相葉  博

三島は私より一年若い。作者もそれに近い年齢だろう。戦争で死んだ友も、そして三島も、死者は常に若いままだ。市ヶ谷台上での気負った死。今もそれを諾(うべな)うのではないが、身を責められる思いがある
                               【 岡野 宏彦 選 】


   蜩や佐渡には古き能舞台   東京都  鈴木 燕童

佐渡は本間家の佐渡宝生流の能が盛んで、古い能舞台も多く、蜩(ひぐらし)がカナカナと美しく鳴いている。              【 森 澄雄 選 】


カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
ブログ内検索
最新コメント
[12/31 越中之助]
[12/31 越中之助]
[12/10 ?]
[10/30 読売読者]
[09/06 榎丸 文弘]
最新トラックバック
バーコード
フリーエリア
ゲイ無料総合サイト
カウンター