目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
焼芋を極(ご)く均等に割り給え 塩尻市 神戸 千寛
何等分にするにせよ、自然から生まれた芋の形である。かなり難しい注文ということになる。作者の焼芋への強い愛着の思いが、ほのみえてくるのが、ほほえましい。 【 小澤 實 選 】
約束をちがへぬ紺屋哀(あわれ)なり 『柳多留(やなぎだる)』
「紺屋の白袴(ばかま)」というとおり、紺屋は忙しいものと相場が決まっていた。日に干すので天気しだいで仕事が遅れる。 客も覚悟している。 それなのにこの紺屋といったら期限どおりに仕上げてきた。よほど暇な紺屋にちがいないという川柳。 【 四季 ・ 長谷川 櫂 】
「紺屋の白袴(ばかま)」というとおり、紺屋は忙しいものと相場が決まっていた。日に干すので天気しだいで仕事が遅れる。 客も覚悟している。 それなのにこの紺屋といったら期限どおりに仕上げてきた。よほど暇な紺屋にちがいないという川柳。 【 四季 ・ 長谷川 櫂 】
赤兎馬(あかとば)とひそかに名付けしその娘 茶髪が今朝も駅へと奔る
さいたま市 小平 英治
えらく元気のいい、茶髪の女の子。ひそかに三国志の名馬の名前を進呈する。ウサギのように跳ねて電車に飛び乗る。もちろん彼女はおじさんが付けたあだなを知らない。 【 小池 光 選 】
さいたま市 小平 英治
えらく元気のいい、茶髪の女の子。ひそかに三国志の名馬の名前を進呈する。ウサギのように跳ねて電車に飛び乗る。もちろん彼女はおじさんが付けたあだなを知らない。 【 小池 光 選 】
職を得て職に不満の若き日や幾夏通い来宵待草小径
帯広市 荒木 八洲男
職を得られない人のニュースが溢れる昨今。単純な懐古や悔恨ではなく、そんな時代を背景にした感慨がにじむ。 【 俵 万智 選 】
帯広市 荒木 八洲男
職を得られない人のニュースが溢れる昨今。単純な懐古や悔恨ではなく、そんな時代を背景にした感慨がにじむ。 【 俵 万智 選 】
かつて卵が貴重であったころ、病気見舞い、寒中見舞いの主役は卵であった。ことに寒中の卵には 滋養があると信じられていた。そんな時代を知る者にとって、この思いは心身から消えない錘(おもり)のようなもの。
【 宇多 喜代子 選 】
後十日たてば百歳年の暮 八王子市 石井 白峰
百歳を迎える前のわくわくした感慨がそのまま句になっている。「後十日」というカウントダウンに実感がこもる。大事な十日だ。石井さん、どうぞますますお元気で。 【 宇多 喜代子 選 】
百歳を迎える前のわくわくした感慨がそのまま句になっている。「後十日」というカウントダウンに実感がこもる。大事な十日だ。石井さん、どうぞますますお元気で。 【 宇多 喜代子 選 】
マチュピチュの噂しきりや寒雀 東京都 松永 京子
或る選句欄で、雲雀(ひばり)がキチュウ・ピンチと鳴くという句をいただいたことがあるが、雀がマチュピチュとはこれまたユニーク。「噂」の一語で、地名が無理なく落ち着いた。 【 正木 ゆう子 選 】
或る選句欄で、雲雀(ひばり)がキチュウ・ピンチと鳴くという句をいただいたことがあるが、雀がマチュピチュとはこれまたユニーク。「噂」の一語で、地名が無理なく落ち着いた。 【 正木 ゆう子 選 】
奥千本西行庵の寒の月 愛知県 山崎 隆吉
奈良県吉野山の最奥、金峯山神社のある辺りを奥千本といい、西行庵は神社のさらに奥の小さな台地にある。 文治年間(1185~90)、西行が俗塵(ぞくじん)を避けて、3年間ここで幽居していたという。 『山家集』に 「寂しさにたへたる人の又もあれな庵双(なら)べむ冬の山里」 とある。いま桜の木に囲まれた庵に、寒の月が煌々と射している。 【 森 澄雄 選 】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
杜甫李白西行芭蕉秋千歳 船橋市 藤井 元基
誰もが知っている詩人四人の名を連ねただけで句が生まれたのも、この人たちの残した詩の強さが芯になっているからだろう。その偉大な名を下五で支えている「秋千歳」もまた強い。千年の秋、百年の秋を重ね来てなお朽ちない「秋千歳」である。さらに強いのは、同様の試みが一回性であるというところか。 【 宇多 喜代子 選 】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山眠り山彦ひとり起きてゐる 千葉市 加賀谷 朋子
あらゆる自然の中に精霊としての神を見る世界観は、そのまま俳句の世界観でもある。しかもこの句では、その山の神が厳(いか)めしく近寄りがたい存在ではなく、ひとりの孤独な人間のように描かれている親しさが嬉しい。山が眠っている間も、山の意識は起きている、という認識のしかたもまた美しく繊細である。 【 正木 ゆう子 選 】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
すろうりい歌会始すろうりい 東京都 吉竹 純
歌会始を外来語を繰返し用い描写しているのに驚いた。歌会始の本質的な魅力は「すろうりい」、ゆっくり進めるところに在るというのだ。繰り返し読んでいると、独特の披講(ひこう)まで聞こえてくるようである。俳句とは、かくも自由なものであると教えられた。 友人がこの句を口にしてくれる場に何度か居合わせた。幸せな句だ。 【 小澤 實 選 】
奈良県吉野山の最奥、金峯山神社のある辺りを奥千本といい、西行庵は神社のさらに奥の小さな台地にある。 文治年間(1185~90)、西行が俗塵(ぞくじん)を避けて、3年間ここで幽居していたという。 『山家集』に 「寂しさにたへたる人の又もあれな庵双(なら)べむ冬の山里」 とある。いま桜の木に囲まれた庵に、寒の月が煌々と射している。 【 森 澄雄 選 】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
杜甫李白西行芭蕉秋千歳 船橋市 藤井 元基
誰もが知っている詩人四人の名を連ねただけで句が生まれたのも、この人たちの残した詩の強さが芯になっているからだろう。その偉大な名を下五で支えている「秋千歳」もまた強い。千年の秋、百年の秋を重ね来てなお朽ちない「秋千歳」である。さらに強いのは、同様の試みが一回性であるというところか。 【 宇多 喜代子 選 】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山眠り山彦ひとり起きてゐる 千葉市 加賀谷 朋子
あらゆる自然の中に精霊としての神を見る世界観は、そのまま俳句の世界観でもある。しかもこの句では、その山の神が厳(いか)めしく近寄りがたい存在ではなく、ひとりの孤独な人間のように描かれている親しさが嬉しい。山が眠っている間も、山の意識は起きている、という認識のしかたもまた美しく繊細である。 【 正木 ゆう子 選 】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
すろうりい歌会始すろうりい 東京都 吉竹 純
歌会始を外来語を繰返し用い描写しているのに驚いた。歌会始の本質的な魅力は「すろうりい」、ゆっくり進めるところに在るというのだ。繰り返し読んでいると、独特の披講(ひこう)まで聞こえてくるようである。俳句とは、かくも自由なものであると教えられた。 友人がこの句を口にしてくれる場に何度か居合わせた。幸せな句だ。 【 小澤 實 選 】
奥千本西行庵の寒の月
愛知県 山崎 隆吉
奈良県吉野山の最奥、金峯山神社のある辺りを奥千本といい、西行庵は神社のさらに奥の小さな台地にある。文治年間(1185~90)西行が俗塵(ぞくじん)を避けて、3年間ここで幽居していたという。『山家集』に「寂しさにたへたる人の又もあれな庵双(なら)べむ冬の山里」とある。いま桜の木に囲まれた庵に、寒の月が煌々と射している。 【 森 澄雄 選 】
杜甫李白西行芭蕉秋千歳
船橋市 藤井 元基
誰もが知っている詩人四人の名を連ねただけで句が生まれたのも、この人たちの残した詩の強さが芯になっているからだろう。その偉大な名を下五で支えている「秋千歳」もまた強い。千年の秋、百年の秋を重ね来てなお朽ちない「秋千歳」である。さらに強いのは、同様の試みが一回性であるというところか。 【 宇多 喜代子 選 】
山眠り山彦ひとり起きてゐる
千葉市 加賀谷 朋子
あらゆる自然の中に精霊としての神を見る世界観は、そのまま俳句の世界観でもある。しかもこの句では、その山の神が厳(いか)めしく近寄りがたい存在ではなく、ひとりの孤独な人間のように描かれている親しさが嬉しい。山が眠っている間も、山の意識は起きている、という認識のしかたもまた美しく繊細である。 【 正木 ゆう子 選 】
すろうりい歌会始すろうりい
東京都 吉竹 純
歌会始を外来語を繰返し用い描写しているのに驚いた。歌会始の本質的な魅力は「すろうりい」、ゆっくり進めるところに在るというのだ。繰り返し読んでいると、独特の披講(ひこう)まで聞こえてくるようである。俳句とはかくも自由なものであると教えられた。友人がこの句を口にしてくれる場に何度か居合わせた。幸せな句だ。 【 小澤 實 選 】
愛知県 山崎 隆吉
奈良県吉野山の最奥、金峯山神社のある辺りを奥千本といい、西行庵は神社のさらに奥の小さな台地にある。文治年間(1185~90)西行が俗塵(ぞくじん)を避けて、3年間ここで幽居していたという。『山家集』に「寂しさにたへたる人の又もあれな庵双(なら)べむ冬の山里」とある。いま桜の木に囲まれた庵に、寒の月が煌々と射している。 【 森 澄雄 選 】
杜甫李白西行芭蕉秋千歳
船橋市 藤井 元基
誰もが知っている詩人四人の名を連ねただけで句が生まれたのも、この人たちの残した詩の強さが芯になっているからだろう。その偉大な名を下五で支えている「秋千歳」もまた強い。千年の秋、百年の秋を重ね来てなお朽ちない「秋千歳」である。さらに強いのは、同様の試みが一回性であるというところか。 【 宇多 喜代子 選 】
山眠り山彦ひとり起きてゐる
千葉市 加賀谷 朋子
あらゆる自然の中に精霊としての神を見る世界観は、そのまま俳句の世界観でもある。しかもこの句では、その山の神が厳(いか)めしく近寄りがたい存在ではなく、ひとりの孤独な人間のように描かれている親しさが嬉しい。山が眠っている間も、山の意識は起きている、という認識のしかたもまた美しく繊細である。 【 正木 ゆう子 選 】
すろうりい歌会始すろうりい
東京都 吉竹 純
歌会始を外来語を繰返し用い描写しているのに驚いた。歌会始の本質的な魅力は「すろうりい」、ゆっくり進めるところに在るというのだ。繰り返し読んでいると、独特の披講(ひこう)まで聞こえてくるようである。俳句とはかくも自由なものであると教えられた。友人がこの句を口にしてくれる場に何度か居合わせた。幸せな句だ。 【 小澤 實 選 】
手を上げて友来たりけり夢寒く 筑紫野市 和田 あきを
夢の中、友が親しく手を上げて近づいてきた。この友はすでに世を去っているのではないか。「寒く」という季語にそう思った。 【 小澤 實 選 】
夢の中、友が親しく手を上げて近づいてきた。この友はすでに世を去っているのではないか。「寒く」という季語にそう思った。 【 小澤 實 選 】