目についた記事を、その時々に書き込むつもりです。
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   太刀魚の泳げるさまに串打てる   名古屋市  可知 豊親

鮎(あゆ)や鰺(あじ)を泳ぐかたちに串を打つという句は、すでにたくさん見ている。それを長く大きな太刀魚で行っていることに驚かされた。まさにみごとな焼き上がりであろう。                    【 小澤  實 選 】



   鉄壁の空理空論蝉時雨   いわき市  佐川 義成  

完璧に組みたてられた論理だが中身は空っぽ。人の世は空理空論に流されていることが多い。宗教や、ことに政治の世界などは。被災地の作者であることを思うと激しい憤 (いきどお) りがあるのかも知れぬ。 「鉄壁」の語に、歯ぎしりする思いが感じられる。              【 矢島 渚男 選 】


   今までに五六度の旅広島忌   下田市  和泉  好

この旅は今にいたるまでに試みた大きな旅の数か。そのうちの一つに広島があったのだろう。                     【 宇多 喜代子 選 】


  資料館出づれば燃ゆる夕空の朱(あけ)にをののく今日原爆忌
                          東京都  高田 庸子

東京の作者が原爆の日に広島へ出かけていっての作だろう。一時、日本人の心から原爆体験が薄れたような感じがあったが、去年から今年、印象が切実になった。                       【 岡野 弘彦 選 】



   夏がゆく僕はまた置いていかれる   岩手県  森沢 優雨

やってくる夏の輝きに乗れないと嘆くのではない。ゆく夏に置いていかれると言っているのに胸を衝かれる。身に引きつけた表現に、「自分も」と共感する人も多いと思う。                     【 正木 ゆう子 選 】


   祈りとは生きていること秋の蝉   茨城市  瀬戸 順治

人生を直截に詠むのに俳句は向いていないが、今回はなぜかそんな佳作が目立つ。「生きてゆくこと」でなく、「生きていること」。  【 正木 ゆう子 選 】  
      【注】 直截(ちょくさい) : 「ちょくせつ」のなまり。「簡明 -」


   流燈の待ち合せゐる淀みかな   水戸市  中崎 正紀

流燈が少し流れたところの淀みで、後からくる友達を待っているかのように 立ち止まっている。盆の情趣あふれる秀作であろう。  【 矢島 渚男 選 】


  もうそろそろ休もうかと思う傍らをメロスが走るボルトが走る
                         横浜市  森  秀人

未明まで起きてロンドン五輪を見ていた方々も多かっただろう。夢とうつつの境でメロス(太宰治の小説『走れメロス』の主人公)の走りまで見た作者。下句が個性的。                     【 栗木 京子 選 】


  水切りの石とび跳ねて沈みけり水底深き石のさみしさ
                       別府市  松本 三四

水切りの上手な作者なのだろう。きれいに水上を滑っていった石。それから深い水底に沈むのである。たぶん二度と水切りに用いられることもなく。
                                【 小池  光 選 】


   生還後余生をひさぐ終戦日   伊東市  勝野 草羊

戦場から辛うじて帰還した後は 「余生」 だと感じている作者。そして何とか生き延びてきた。 「ひさぐ」 が痛切。 敗戦の日がまた来る。
                               【 矢島 渚男 選 】 

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